saltyの備忘録

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大衆社会は民主主義を崩すのか

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こんにちは。最近、めっちゃ晴れたり、めっちゃ雨だったりで、気温差がめちゃめちゃ激しいですね笑

 

おかげで、足のしもやけがいつまでも治りません笑

 

自粛生活もかなり長くなってきて、自分はかれこれ2週間くらい通院以外で外に出てないです。

 

ほんとに何も予定がないので、どう森がめっちゃはかどります。今はやっと島クリエイターになって、ポケモンを頑張って再現しようとしてます笑。

 

さて、今回はまた授業で新しく学んだ内容をまとめていこうと思います。今日は、政治に関連する話題で、大衆社会と民主主義についてです。

 

今の世の中を見渡すと結構実感する部分がおおくて、自分としては面白かったです。ではいってみよー!

民主主義とは?

民主主義の2つの前提

まず、民主主義の定義は何か確認しましょう。

 

民主主義とは、世論と意見の多様性をベースに構築された政治のことを指します。この民主主義には少なくとも2つの前提があります。

 

まず、民主主義を構成する個人が合理的であること。次に、それぞれの個人が自分の意見をもっていることです。

 

理性合理性が民主主義のキーワードになっています。

 

そして、各国で採用されている自由民主主義は民主主義の前提をもとに運用されていて、健全な効果を発揮するためにさらに2つの条件があります。

 

一つ目は、合理性に基づいた議論ができること。二つ目は、それぞれの意見の協調を持てることです。

 

政治は最終的に何かしらの決定を下さなければいけません。そのため、違う意見を協調をもってまとめることが必要になってきます。

 

これは余談ですが、最初の民主主義は、有権者が税金によってきめられ、お金持ちのみに政治に参加する権利が制限されていました。

 

というのも、お金を持っている人は教育を受けているため、民主主義の前提である理性と合理性を十分に持っているだろうと判断されたためです。

 

これは裏を返せば、貧乏な人は教育を受けれなかったため、政治に参加できる能力がないと判断されてしまっていたということになります。

 

民主主義の揺らぎ?

そして、時代を追うごとに有権者の範囲が拡大され、すべての人に政治に参加する権利が平等にいきわたるようになりました。

 

もちろんこれは人権を保護するうえでとても重要です。しかし、すべての人が政治に参加できるようになったために起こってしまった問題もあります。

 

19世紀後半から20世紀前半にかけて、合理的な有権者が少なくなってきてしまったのです。それには、主に3つの理由があります。

 

合理的な有権者が減ってしまった理由

産業化(経済視点)

まず、経済の視点から見ていきましょう。

 

産業化によって、資本主義が台頭し、労働階級が出現しました。資本主義によって搾取された労働階級は賃金や労働環境の改善のためにデモを起こし、資本家に対して抗議するようになりました。

 

デモは感情のつながりによって激しくなります。このデモ活動の出現により、感情に訴えることも政治に対して有効だと考える人が増えてしまったのです。

 

都市化(社会視点)

つぎに社会の視点から見てみます。

 

都市化によって、伝統的な地方のコミュニティが減っていきました。地方にいた人たちは仕事を探して上京し、都市にはたくさんの人が集まってきたのです。

 

それによって、様々な価値観や考え方の人があつまり、調和を保つのが難しくなってしまったのです。

 

普通選挙権

最後に先ほど少し説明した、普通選挙権です。

 

すべての人に政治に参加する権利を与えたことによって、大衆民主主義が生まれました。

 

大衆は群衆と同じ意味で使われ、非合理的な集団と認識されています。すべての人が政治に参加したことによって、政治の質が下がってしまったのです。

 

そして、大衆はたやすくマスメディアに扇動されてしまいます。

 

これら3つの要因によって、民主主義はうまく機能しなくなってしまいました。

 

普通選挙権によってすべての人が政治に参加した結果政治の質が下がり、都市化によって共通の価値観がないため同意を得ることが難しくなり、産業化によって感情的になってしまう人が増えてしまったのです。

 

世論は信頼できる?

最後に、世論は信頼できるのかについて書いていこうと思います。

 

単刀直入に言うと、世論を常に信頼することは危険です。

 

大衆はマスメディアによって簡単に扇動されます。今の世の中がとてもわかりやすい例なのではないでしょうか。

 

そして、テクノロジーの発達により、その可能性はますます高くなっています。私たちは私たちが受け取る情報を処理しきることができません。

 

一つ一つを処理する能力のない私たちは、ステレオタイプを作ります。私たちは所属する文化によってすでに形作られたステレオタイプで最初に定義してから、モノを見るのです。

 

物を見てから判断するのではなく、判断してから物を見ているのです。

 

マスメディアは私たちの政治的思考を向上させることはできません。マスメディアに扇動された大衆は場合によっては多数派による独裁向かってしまう場合があります。

 


 

今回は、この辺で終わりにしようと思います。

 

多数派による独裁もとても面白いので、近いうちにまとめたいなと思っています。

 

自分の授業ノートをみながら書いているので、日本語の訳や内容など、間違っている場合があると思いますので、鵜呑みにすることなく読んでいただけるとありがたいです。では、また!